「私、宇宙と渦とクラゲが好きなんです」
そう言ってみたら、
「私とツボが同じですね」
と、このガラスの玉を作った人は言った。

昨日から、すべては単なる周波数なんだ、と体感している。
私たちはエネルギー。
自分が持っている周波数、周囲に満ちている周波数を体験し、それがそれぞれの現実という「表現」になっているだけ。
愛は愛の周波数(ここで言う愛は「愛し愛される」の愛ではなく、それ自体が愛であるという状態のこと)。
悲しみには悲しみの、喜びには喜びの、病気には病気の周波数。
ラジオのチャンネルを合わせるように、私たちは周波数を選び替え体験する。
体験が変わらないのは、同じ周波数を選び続けているからというだけ。
すごくシンプルにそれが見えた。
周波数が上がって、しかも自分の中に低い周波数がなくなったとき、人は愛のみになる。
光と言ってもいいかも。
でも、長いこと使った低い周波数を持ったままだと、一時的に上がっても、持っている低い周波数に合うものと出会ったとき、体験するためにその周波数にあわせてしまうのでまた降りて行ってしまう。
体験もまた楽しからずや、なので。
理屈では分かっていたが、ここ数日で体感として分かった。
ちょっと覚書として書いておくことにします。
昨日、あるブログで読んだこと。
人は国際基準であるA440Hzという周波数を基調として暮らしているが、この周波数は自分を分離させるものであり、元気を失わせ自己嫌悪に陥らせる。
ところが528Hzという周波数は、自分を統合させ、愛と調和の状態に導く。
世の中が528Hzの周波数に合わせていけば、世界は調和に向かう。
自分の言葉に置き換えているけれど、そういうことが書いてあってすごく納得した。
これまで得た情報がまとまって、とにかく納得だった。
528Hzの根拠についても書いてあったけど、むずかしいことは苦手なのでとりあえず。
何が起こっても、同じ周波数のまま対処に走るよりも、自分の周波数をあげたところで見えることを行動に起こすことが物事を収束させていく。
周波数は電波なので、一人が上がればそれが振動して周囲も上がっていく。
否定的な体験にしがみついて、上がることに抵抗する人は別として。
起きたことに否定的な意味を持たせるのではなく(運が悪いとか、誰かが悪いとか)、それを機会に気持ちを切り替えて、自分の周波数を上げて、現実という体験を変えていけばよいのだと気づくことが大切なのだ。
楽しいことをしているとき、周波数は上がっている。
満ちているとき周波数は上がっている。
笑う門には福きたる。
ということなのね。

で、宇宙と渦とクラゲの話ですが、結局は同じ周波数に惹かれるということが言いたかったのです。
クラフトフェアへ行っても、すべてのブースに顔をつっこむわけではない。
私の場合、それがはっきりしていて、良し悪しではなく、エネルギーで判断しているような気がしたのでした。
似たような周波数。
自分を引き揚げてくれるような高い周波数。
そういうものに惹かれて、のれんをくぐるわけです(のれんはないけどね)。
今日久しぶりに開いてみた、河井寛次郎の「命の窓」。
もの買って来る
自分買って来る
若しか自分以外のものを買って来た人があったなら、自分は其の人を見たい。
人はいうであろう。嫌だったけど仕方がなかったから買ったのだ。こんなものは自分のものでも何でもないのだと。然し其の人は仕方がないという自分以外の何をかってきたのだろう。
どこかに自分が居るのだ
-出て歩く
人は目的を持って出かける事がある。持たないでも出かける事もある。然しそんな事は問題ではない。ぼんやりして居ようが、はっきりして居ようが、しんそこには何処に自分が居るかを見たいのだ。無数の自分が見たいのだ。―そうした以外に吾々は歩かない。
河井先生、よく分かりました。
ガラスの中の美しい宇宙は、愛知県の「Calm Glass」中條健太さんの作。
まるで宇宙そのもの。
私が行方不明になったらガラスの中をのぞいて探してみる、とちびは言っていた。
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