羊草ーひつじぐさー

言葉のいらない世界



b0110646_934388.jpg



 私は数時間、雪の上に横たわって、このシマフクロウを見つめた。草の茎のような小枝以外は白一色の世界が広がっている。シマフクロウが彫像のようにじっとうずくまっている。雪の中の生物-この写真はまさにその瞬間をとらえた。その光景に心を奪われて、私は顔を防寒具で覆うのを忘れていた。その夜、友人から鼻が黒ずんでいるといわれた。救急病院に駆けつけたが、鼻の先端を失った。それでもこの写真を見るたびに撮影したときの喜びがよみがえってくる。







b0110646_935088.jpg



 そのジャコウウシは、白い砂漠に立つ黒い王侯のように、何時間もこうして立っていた。この写真には、この動物に対する私の印象がはっきりと現れている。私はよく静寂に身を置きたくなる。群れから少し離れ、じっと立ち尽くすこのジャコウウシの姿こそ、私の思い描く静寂そのものだ。シャッターチャンスを待ちながらこの雌のジャコウウシと過ごした午後のことを楽しく思い出す。雌は私に興味を持って近づいてきたが、やがて背を向けると歩み去っていった。






 ヴァンサン・ミュニエという写真家のことを初めて知った。
 フランスのロレーヌ地方の寒村にある小屋で、質素に暮らしているというこの写真家は、北海道の鶴居村で撮影した美しいタンチョウの写真でも有名だそうだ。
 透けるような大きな羽を持つタンチョウのつがいが、完璧なダンスを踊るその写真は、息をのむほどに美しい。

 ジャコウウシは北極に住み、マンモスとともに暮らしていた時代を持つ古い動物。
 ヴァンサン・ミュニエが言うような理想的な静寂は、この地球にながらく在りながら、ずっと言葉というものをもたぬまま永らえ続けてきた存在の持つものなのかもしれない。

 
 禅の世界にも通じるような、静寂、シンプルさ。
 
 詩や短歌などの洗練された言葉はともかく、人の発する言葉というものはしばしば、発する人の心の真実を隠すために使われているように感じる。
 悟られたくない感情、自分でも気づきたくない感情。
 そういうものを覆い隠すために、理性の名のもとに言葉は利用されているのだ。

 良いとか悪いとかではなく、そういうのは、ただ、がっかりする。
 もう、そういう世界からは、そろそろ足を洗いたい。

 言葉を持たないものとの間では、隠すべきものは一切ない。
 だから、身近な動物がいとおしく感じられるのも自然だ。
 そこには、目には見えないが、限りなく静かで澄んだ行き交いがある。
 説明や言葉で足す必要はなく、いつでもすべてが「それでいい」のだ。 


 ヴァンサン・ミュニエの写真を見ていると、なぜだか涙が流れ続ける。
 「そこ」に居続けたいと、ただ、思う。




 

b0110646_935693.jpg



 ヴァンサン・ミュニエの写真も収録された、ナショナルジオグラフィックの「ザ・ワイルドライフ・フォト」。
 素晴らしい一冊です。



 美しく感動的な写真が惜しげもなく公開されている、ヴァンサン・ミュニエのサイト。
 訪ねてみてください。

 vincentmunier

 
by hituji-gusa | 2013-12-16 09:48 | いろやかたち