羊草ーひつじぐさー

シャボン玉




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 花見に行って、シャボン玉を撮った。
 
 ふわりふわりとさまようのを追って、パシャリ。
 そのあとあっけなく、それははじけて消えた。


 写真はおもしろい。

 私の場合は技術など全くなく、ただ絞りを開放して、フラッシュをたかないで撮るだけ。
 風景も静物もみんな一緒だ。
 でも、そんななかで、自分が何を見ているのか、何にフォーカスしているのかを感じるのが面白い。

 シャボン玉を見ているから、それが写って、背景はぼやける。
 背景の木々にフォーカスしたら、シャボン玉はまったく写らないだろう。

 シャボン玉を追っているとき、対象を感じて、それに気持ちと動きを合わせる。
 いつ消えるか分からないし、動くからピントを合わせるのも大変だし、いろんなことを感じながら、でもシャボン玉がはかなくて美しいと感じて、それを一瞬の中に収めたいと思う。
 でも、そんないろいろな感覚は、一瞬という流れの中に、シャボン玉と一緒に消えていくのだ。


 そんなことを綴りながら感じたことがある。

 シャボン玉はどこから生まれ、どこに消えたのか。

 背景の木々はずっとそこにある。
 ゆっくりした時間の中で、少しずつ姿を変えながら、でもまたそこに行ったときには、木々はそこに在るだろう。

 ではシャボン玉は?
 消えてなくなったのではなく、それはやっぱりそこにあるような気がする。
 もうそこにはないかもしれないけれど、どこかにそれは在る。
 精妙な粒子となって、別の場所で、別の姿をあらわしているかもしれない。

 あるいは、同じ場所で、肉眼には見えないほど精妙な姿で、くるくると風に乗っている何かとして在るかもしれない。
 そして、それを私が強く意識した時に、それはシャボン玉としてまた同じように姿をあらわしてくれるかもしれない。
 そういうことも起こり得るんじゃないかな。


 妄想は果てしない。
 でも、楽しい。
 








 
by hituji-gusa | 2015-04-11 12:13 | 日々の余白