羊草ーひつじぐさー

自由な一枚の布



 モンゴルの駱駝の毛糸で、ちまちま編んでいた。

 長さに納得がいったところで、やっと編み上がりです。



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 縦140㎝、横75㎝(だいたいのところ)。

 シンプルなメリヤス編みの、一枚の布。

 編んだ布は、織った布よりも身に沿う感じが好き。
 このドレープ感が。




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 たっぷりした雰囲気に見えるけれど、案外軽い。

 肩に沿って羽織ると、ちょうど両手首までの長さになる。
 裾を輪にして袖のようにすると、いわゆるマーガレットとして着やすいとも思ったけれど、用途が限られるのでやめた。

 頭からかぶって、首で布をピンなどで止めてから脱いでみると、フード付きの大きなマフラーのようになる。

 アシンメトリーに、斜めに羽織ると形の変わったカーディガンのようでもあり。


 

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 この編みっぱなしのクルクルと、布の四隅のトンガリがアクセントになる。

 腰に巻いたらスカートのようで、しかも軽くて暖かい。

 一枚の布のままにしておく方が、あれこれ楽しめそうです。


 布が好きだ。

 布は楽しい。

 できれば布のままである方がいい。


 マフラーやショールを織る。
 そう思ったら、なんとなく機に向かえなくなった自分がいました。

 用途や目的、自分の予定や期限。
 そういったものを自分の中に持たないで、心も身体もぶらぶらしていたところ、やっと答えの一つが出たような。


 まあ、もとより作家でもないので、気にすることもなかったんですけど。
 なんだか、そういった「何者か」になれたらいいのかな、と思ったことも正直あった気がします。
 でも、私の「いい加減さ」は尋常でないことにも気がついて、人に迷惑をかけてしまうのが嫌で。
 でも、そこを愛さないと自分ではいられないことにもほとほと気がつきました。

 それを仕事だと思うと、手が止まってしまう自分がいて。
 楽しいと感じられないと、何事からも逃げ出したくなる自分がいて。

 自分のその「無責任」を愛さないと、もう何にも表現ができないと思うところまで、実は来てました。
 文章を書くことも、糸を作ることも、布を織ることも、家事も、誰かに会っておしゃべりをすることも、どこかに出かけて何かを感じることも。
 そういったことのすべてが私の中では「表現」の一つひとつと気がついて。

 どれかを特化したり、そういう区別ができないくらい、ひょっとすると私は、「私自身」を表現していきたいのかもしれない。
 そんなことも感じています。


 今、私はお勤めをする社会人でもないし、家庭人もほぼ卒業してぶらぶらしていますが。
 そんな私と楽しく過ごしたいと言ってくれる人たちが巷には結構いて、おかげさまで日常を、孤独とは無縁に過ごしています。
 もちろん、近くにいる人たちばかりではありません。
 なかなか会えない、大好きな人たちとの間にも、私はそういったものを感じています。

 例えば、ものを作る私が、それを通じて初めての人とご縁ができたとして。
 なんだかこの人と喋ってみたいな、と思われないようなら自分がつまらないな、と思ったのでした。
 ものを作る意味もないかもな、とも。

 それほど、私の表現するすべてのことが、私そのものを表現していたら、それが一番私が生きやすく楽しいのかな、と思ったのでした。
 うまく伝わるかなぁ。


 



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 次に、何をどうしたいかな、と思って、引っ張り出してきた糸がこれら。

 カセにしてあるのは、ショールにでも思って細く紡いでいた羊毛。
 帯のついたままの毛糸は、先日、横浜にプロレスを観に行った折、東京駅近辺にある「kitte」というビル内をウロウロしていて出会った、靴下編み用の細番手。

 素敵な毛糸屋さんがある!
 ワクワクして店内に吸い込まれたら、珍しい外国の毛糸の数々。
 この店は只者ではないな、と思ってよく見たら、日頃から憧れていた毛糸屋さん「MOORIT」の実店舗でした。
 なんと。




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 普段からなんとなく眺めていた、MOORITの書籍。
 心を自由にしていると、こういう楽しい偶然もいろいろやってくるなぁ、って。

 そんなこんなで、感じるままに、今日も明日も生きたいのです。







 
by hituji-gusa | 2016-10-05 13:08 | 羊のこと