羊草ーひつじぐさー

カテゴリ:読書の時間( 13 )

来年の自分に


 今週は、毎日誰かと出かけている。
 考えてみると、ありがたいことです。

 誘ってもらうことの方が多いけど、大抵がその日か翌日の予定。
 すっと決まって、さっと出かける。

 書き留めておくほど先の予定がないので、手帳は持たなくなった。
 持っていたときも、ほとんど使っていなかったけど。


 そんな自分に、来年の手帳を買ってあげました。

 ロフトに行ったら、バカボンのパパの手帳があった。
 それを持っていたかったのと、ふと、来年は書き込んでおくだけでうれしくなるような予定を書きたいな、という思いが湧いたから。
 というか、なんとなくそういう予定を書く自分が見えた気がして。

 そんな来年の自分にプレゼント。





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 そうしていたら、素敵な言葉を見つけました。

 谷川俊太郎さんが、バカボンのパパとコラボした劇画詩集。
 「谷川俊太郎エトセテラリミックス」という本の中にそれはあリます。




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 自分トフタリッキリデ暮ラスノダ
 自分ノパンツハ自分デ洗ウノダ
 自分ハ自分ヲ尊敬シテイルカラ
 ソレクライナンデモナイノダ
 自分ガニコニコスレバ
 自分モ嬉シクナッテニコニコスルノダ
 自分ガ怒ルト自分ハコワクナルノデ
 スグニ自分ト仲直リスルノダ
 自分ハトッテモ傷ツキヤスイカラ
 自分ハ自分ニ優シクスルノダ
 自分ノ言ウコトサエキイテイレバ
 自分ハ自分ヲ失ウコトハナイ
 自分ハ自分ガ好キデ好キデタマラナイ
 自分ノタメナラ生命モ惜シクナイ
 ソレホド自分ハスバラシイノダ





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 傷つきやすい自分を、弱い者扱いして嫌っていた自分がいた。
 いつ、そんなことを思い込んだんだろう。

 傷つきやすいけれど、とても精神的にタフな自分がいることにも気づいていて、でも、それを認めてあげることがなかなかできなかった。

 傷つきやすい繊細な自分も、今は好きです。
 そうでなくては自分でない。
 それでも、いろんなことを越えてきた。
 でも、それを認めてあげるのも、認めてもらえて嬉しい気がするのも、自分だということに気がついたのです。

 そうしてみると、他人ってなんだろう。
 他人に認めて欲しかった自分ってなんなんだろう。
 そんなことを思ったりして。


 来年からは、手帳を見るたびに、この言葉を自分の中に思い出せるかと思うとちょっとうれしい。


 自分の言うことさえ聞いていれば
 自分は自分を失うことはない

 自分は自分が好きで好きでたまらない
 自分のためなら生命も惜しくない
 それほど自分は素晴らしいのだ

 
 
 
 





 



 



 






 
by hituji-gusa | 2016-10-20 18:13 | 読書の時間

私の星


 天文学はビッグサイエンスだといわれているが、まだまだ「一匹狼」的な面も多い。研究者のそれぞれが「私の星」をもっており、その星のイメージをいつも胸の中にあたためている。観測ーこの「私の星」との対話の時には、研究者はつねに孤独である。己を空しくして、「私の星」の問いかけを最大限に聞くこと、このために私たちは工夫と努力をかさねる。


 当時、東京大学東京天文台岡山天体物理観測所の所長だった石田五郎さんの「天文台日記」(中公文庫)。
 この本のあとがきに出てくる「私の星」というフレーズがとても好きだ。


 「私の星」。

 ときに、星は運命をほのめかすものであったり、目指すものであったり、探していたものそのものであったり、道を照らすものであったりする。

 星とはいつだって、とても示唆的だ。
 星を追い、星について考え、星を観て。
 それは夜空にあるときもあれば、地上に見つけられることもある。

 天文学者でなくても、いろんな形で、多くの人が「私の星」を探しているような気がする。

 天文学者は観測という方法で、「私の星」と対話するという。
 でも、孤独の中で、己を空しくして、「私の星」の問いかけを最大限に聞くというのは、なんだかとても普遍的な行為のように思える。


 私にも「私の星」がある。
 それは絶えず私に問いかけ、私という何かの実像を見せてくれる。
 その星に照らされ、癒され、守られてもいる。

 それは私の中にあり、同時に外に映し出されてもいる。
 外に見える星を見つめることで、私という星の姿を知ることができる。
 星は未来でもあり、過去でもある。


 というわけで、相変わらず星ばかり観ている。


 


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 岡山天体物理観測所は、現在は国立大学共同利用機関として国立天文台に移行している。
 一見古そうだけど、全国の天文学研究者に共同利用され、休みなく観測や研究が進められているとのこと。

 このドームは、188㎝反射望遠鏡を備えています。





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 これがそう。

 この望遠鏡は、通称ナナヨンと呼ばれていて、50歳をこえているらしい。
 展示用のパネルの説明がとっても愛に溢れていたので、以下に引用します。


 188㎝反射望遠鏡(通称74「ナナヨン」)は研究用としては日本で一番大きい望遠鏡です。
 1960年につくられ、50歳をこえています。立派な「中年」望遠鏡ですが、いまだ現役バリバリで頑張っており、世界で認められる研究成果を次々と出してます。
 がんばれナナヨン!



 がんばれナナヨン!


 



 


 


 
by hituji-gusa | 2016-07-22 14:40 | 読書の時間

林の中の小さな図書館


 畦地梅太郎は版画家ですが、山歩きに関する画文集がいくつか出ていて、それがとても好きです。


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 春に出かけた旅先で、たまたま出会った畦地梅太郎。

 いつか、版画の常設がある場所を探していて、ネット上でたまたま見つけていたその場所が、泊まった旅館の系列で、散歩がてら行ける場所にあったのはとてもラッキーなことだった。
 それも着いてから知ったので、思わぬ贈り物をもらったような気分。



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 B・B・C長湯は、長期滞在型の宿泊施設。
 寝るためのお部屋と朝食を用意してくれる。

 そしてそこには、山岳図書を集めた図書館がある。
 林の中の小さな図書館。

 


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 私は本格的な登山を経験したことはなく、中国地方でいえば、夏の大山や蒜山縦走くらい。
 でも、どういうわけか山をテーマにした小説が昔から好きだったし、山岳図書と聞くとわくわくする。

 一歩一歩登る山道。
 苦しいのだけれどなぜか足は止まらず、先へ先へ行こうとする。
 大勢で行っても、歩いているときはひとり。
 歩きながらその「ひとり」が深まって、思考が落ちていく感覚。

 そういった感覚がなぜか親しくなつかしい。
 記憶として、自分の深いところに残っている感じがします。
 いつの、どこからやってきた記憶かはわからないけれど。


 畦地梅太郎の画文集は絶版になったものが多く、しかも図書館にも蔵書がない。
 旅から帰って、「せつなさの山」を古書で探して手に入れた。
 日々の合間合間に少しずつ開いて、楽しんでいます。

 朴訥な表現と、当時の風俗も見えて、やっぱりいいなぁと思う。
 作為はなく、思いつくことを思いつくままに書いているという感じ。
 タイトルにもなった「せつなさの山」は短い文章だけど、独り身の時、貧乏で、年の瀬にくる家賃の催促を逃れて友人宅に避難して仕事をしたり、お金がかからないよう山を歩いたりする話。
 きれいな山歩きの話ではないんです。
 




 
 
 




 

 
by hituji-gusa | 2014-04-17 10:50 | 読書の時間

河井寛次郎の宇宙


 戦争も終わりに近づいた頃でありました。東京も大阪も神戸も都市という都市が、大抵やっつけられてしまいまして、やがてはこの京都も、明日といわず同じ運命を待つ外ない時でありました。
 私は毎日のように夕方になるとこの町に最後の別れをするために、清水辺りから阿弥陀ケ峰へかけての東山の高見へ上っていました。
 その日もまた、警報がひんぱんに鳴っていた日でもありました。私は新日吉神社の近くの木立の下のいつも腰掛ける切株に腰掛けて、暮れていく町を見ていました。明日は再び見る事の出来ないかも知れないこの町を、言いようもない気持で見ていました。
 その時でありました。私は突然一つの思いに打たれたのでありました。なあんだ、なあんだ、何という事なんだ。これでいいのではないか、これでいいんだ。焼かれようが殺されようが、それでいいのだ ― それでそのまま調和なんだ。そういう突拍子もない思いが湧き上がって来たのであります。そうです、はっきりと調和という言葉を私は聞いたのであります。
 なんだ、なんだ、これで調和しているのだ、そうなのだ ― という思いに打たれたのであります。しかも私にはそれがどんな事なのかはっきりわかりませんでした。わかりませんでしたがしかし何時この町がどんな事になるのかわからない不安の中に、何か一抹の安らかな思いが湧き上がって来たのであります。私は不安のままで次第に愉しくならざるを得なかったのであります。頭の上で蝉がじんじん鳴いているのです。それも愉しく鳴いているのです。さようなら、さようなら京都。
 それからは警報が鳴っても私は不安のままで安心 ― といったような状態で過ごすことが出来たのでありました。
 しかし何で殺す殺されるというような事がそのままでいいのだ。こんな理不尽な事がどうしてこのままでよいのだ ― にもかかわらず、このままでいいのだというものが私の心を占めるのです。この二つの相反するものの中に私はいながら、この二つがなわれて縄になるように、一本の縄になわれていく自分を見たのであります。 



 

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 河井寛次郎のたくさんの言葉が、以前には感じなかったところまで感じられる。
 でも、その感じを、自分の言葉ではつくせなくなってきたのです。
 言葉にできないことが、このごろはとても多い。

 でも、感じたことはすべて自分の中にある。
 元からあったものを思い出しただけで、消えてしまうことなどないのですね。


 最近感じることは、この世で言う「幸」「不幸」は、等価なんじゃないかということ。
 体験するということだけがこの世に生きた目的であって、それらは体験としては等価であるのではないかということ。
 それを生み出すエネルギーもまったく出所は一緒なのではないかということ。
 どちらを体験もそれでよい、ということ。
 どちらがいいということはない、ということ。
 善い悪いはない、ということ。

 大切なことは、それらはすべて自分の中にあるということ。
 自分そのものだということ。
 ただ、それだけだということ。



 饗応不尽

 無数のつっかい棒で支えられている生命
 時間の上を歩いている生命
 自分に会いたい吾等
 顧みればあらゆるものから歓待を受けている吾等
 この世へのお客様に招かれて来ている吾等
 見つくせない程のもの 
 食べ切れないご馳走
 このままが往生でなかったなら
 寂光浄土なんか何処にあるだろう



 三千世界を楽しもう。




            「河井寛次郎の宇宙」 河井寛次郎記念館 編   講談社カルチャーブックス










 最近ハマっている万城目学原作の映画「鴨川ホルモー」の主題歌。


 神様になったらどうする?
 変えたいものばかりでも 泣き笑いのいっぱい詰まった人生を
 神様に会えたらどうする?
 壊したいもの抱えて 十字架背負って 奔走してるんだな いろいろ
 神々Looks you Looks you  あるがまま生きよう この三千世界
 Looks you Looks you!





 





 

by hituji-gusa | 2014-03-11 17:00 | 読書の時間

雪は天からの手紙




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 空から、はらはらと降りてくる雪。

 
 初めて雪の結晶を見たのはいつだったか。
 掌の上に落ちて溶ける一瞬のあいだに、はじめてそれとして見つけた形に感動した。





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 世界的な雪氷学者だった中谷宇吉郎は、その随筆もとてもよくて、この季節になると図書館で借りて読んでみる。
 いわば私にとっての「季節商品」。







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 季節商品といえば、この本もそうなわけで。

 ケネス・リブレクトという物理学者が文を、雪の結晶を撮ることにとりつかれたパトリシア・ラスムッセンという写真家が、ケネス・リブレクトが特別に制作した撮影器具を用いて撮影した写真を載せている。
 とても美しい、科学の本。






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 夏になると星の本を、冬になると雪の結晶の本を、自然と手に取っている。
 なんとなく、両者は似ている気がする。

 同じように、雪の結晶と、鉱物標本はなんとなく似たもののような気がする。
 去年から私の中で、石のブームがひそかに起こっていて、今年のカレンダーの一つは鉱物標本デザイン。

 星も雪も鉱物も、言葉はもたないけれど、たくさんの情報を持っているようで。



        「雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集」 池内了 編  岩波少年文庫
        「スノーフレーク」 ケネス・リブレクト 著  パトリシア・ラスムッセン 写真  山と渓谷社














 
by hituji-gusa | 2014-01-19 14:12 | 読書の時間

よその国の本屋さん

 いつか行ったバルセロナの本屋さん。



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 スペイン語はまったくわからない。
 とりあえず学校で経験したことのある英語と違って、単語を見ても書いてあることが想像できなかったりするのだけど、それでも本屋は楽しいのだ。

 ガウディの建築物であるカサ・ミラやカサ・バトリョがあるグラシア通りに面した本屋さん。
 だからガウディ本もたくさんあって、そういう本に国境はないもんね。


 

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 その本屋「JAIMES」で買った本、「MISCELANEA DE GATOS」。

 MISCELANEA は「寄せ集め」という意味らしい。GATO はネコ。
 ネコの寄せ集め、というわけで、ネコに関するいろんなことを集めたちいさな辞典みたいな趣の本でした。

 フィリックスくんやプーマ、ジャガーのブランドロゴ、ネコのあやとり、星座。
 そういった雑々を、クラフトエヴィング商会風にまとめてある。


 そんなことを書いていたら、猛烈にバルセロナに行きたくなった。

 いつかまた行くことがあるなら、本とガウディが好きで、好奇心旺盛で活動的で、お酒が大好きな、本当に気の置けない誰かと旅してみたい。
 ガウディのあれこれを観てまわり、ふらりと本屋に入ってはちゃーちゃー言いながら棚の隅から隅を探索し、昼間からバールで飲んで、合間に郊外の修道院なんかを観光し、夜も通りに並ぶオープンエアのお店でタパスをつまんでまったり飲んで、ホテルに帰ってもさらに飲んで、たくさんしゃべってことりと記憶がない。

 そんな数日を過ごしてみたいものです。 この酔いどれがっ!

 





 
by hituji-gusa | 2013-06-27 09:42 | 読書の時間

メロンのじかん


 そばにいるとき、じっと私のことを見つめるタロの、ぬれぬれとした目がいつもいとおしい。
 大きくてつぶらで黒々としていて、子供のころ近所で飼われていた牛の瞳を思い出す。

 これまで飼ったどんな犬とも、近所で出会うどんな犬とも、うちのタロは違う。
 って、みんな自分ちの犬のことをそう思っているんだろうけどね。




 「メロンとぼく」  まど みちお


 メロンがぼくの目をみつめつづける
 ぼくもメロンの目をみつめつづける
 しーんとして
 ふたりのじかんがひとつになって
 ごうごう ごうごう ながれる

 それはせかい一なかよしの
 ぼくたちふたりのことが
 いまただいま天のアルバムに
 のせられているとのだとおもえる
 じーんとしてくる

 メロンもなみだぐんでみえるが
 いぬのいのちのみじかいことなど
 しるはずもないのだ くびかかえて
 ぼくは力一ぱいだきしめてやる


 





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                              「メロンのじかん」 まどみちお  絵・広瀬 弦  理論社



 

 
by hituji-gusa | 2013-06-26 12:04 | 読書の時間

本棚


 とてもとても本好きな人が、我が家を訪ねてくれた。
 もちろん、本の話をするために。

 そういうときは、自分の本棚を見てもらうのがいちばん。
 自己紹介のかわりにもなる。
 そう思いながらあらためて自分の本棚をみると、料理研究家はもちろん、小説家、詩人、エッセイスト、ジャンルはそれぞれだけど、食べごと大好きな人の本ばかりだった。


 お話していていろんなことを思い出した。

 ちびくろサンボのトラのバターで作るパンケーキによだれを堪え、くまのプーさんのしょうがパンに憧れたこと。
 お小遣いのすべてを器具や材料につぎ込んで熱中したお菓子やパン作り。
 そのきっかけになったのは、昔流行った森村桂の本だった。

 同じように森村さんの本がきっかけで、今はそれを仕事にしている人のお菓子を、先日、そうとは知らずに食べていた。
 アーモンドボールがとてもおいしくて、おかわり買いをしたのだった。

 くいしんぼうの人の本って、強い。
 おりにふれ、いろんなきっかけをもらっているような気がする。

  
 




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 今日、図書館で借りてきた本。
 この詩人も食べごとが好きだったに違いない。


 ところで私の本棚、実は寝室にあるのだ。
 そのとき気になる本を選んでごろり。

 ものぐさな読書。
 



 
by hituji-gusa | 2013-06-25 21:36 | 読書の時間

ゆるいやつら


 昔、「ゆるい」といえばパンツのゴムでしたが。
 今、「ゆるい」といえばキャラクターもそういうものがふえてまして。

 なにを隠そう、ゆるいものが好きでして。
 たまたまテレビなどで、全国のゆるいやつらが運動会などしていると、つい釘づけ、興奮してしまうたちです。

 
 でも、ゆるいやつらは昔々にもいたことが判明しました。




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 ゆるい犬。







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 ゆるい猫。








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 ゆるい浦島太郎。

 箱を開けた浦島太郎に煙が襲いかかっている。 浦島あやうし!







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 「ゆるい」という言葉は根っから好ましいのですが、「素朴」も好き。

 かざりなくありのままなものってゆるい、ってことなんですねぇ。 はー、ゆるゆる。




                                  「日本の素朴絵」 矢島 新  ピエブックス

 




 
by hituji-gusa | 2013-06-22 12:28 | 読書の時間

捨てられた本の行方


 あなたは、捨てられた本がどうなるか知っていますか。


 捨てられた本は地獄に落ちるそうです。

 地獄に落ちた本は、マルメルキ分離機によって、砂とマルメルキに分離される。
 地獄の郊外にはマルメルキ分離場があり、それは赤い人たちによって管理されているのだ。

 マルメルキとは何か。
 それは地獄の調味料。

 この世でいう中華風の調味料で、地獄でもチャーハンなどに入れたりするらしい。

 私の推測では、地獄のおやつにもこのマルメルキが使われているんじゃないかと。
 ちなみに地獄のおやつとは、この世の輪ゴム(のようなもの)に味付けしたもので、くちゃくちゃ噛んで、味を楽しんだら吐き出す。
 地獄の人たちは大好きで、夜店などでも売られている。


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 というような事実は、「大木家のたのしい旅行 新婚地獄編」で確認してください。

 映画は最高!小説も当然おもしろかった。

 五反田のスーパーマルヨシの屋上は地獄とつながっている。
 主人公の大木夫妻は、怪しい占い師の誘いで地獄に新婚旅行に行くことに・・・。
 地獄には青い人と赤い人がいて、宿泊先の400階建て以上のホテルにはビーフシチュー温泉があったり。

 おすすめです。


 捨てられた本を見るのは、なんだか胸が痛む。
 
 でも、そういう私も本を捨てたことがあるわけで。
 本たちは無事にマルメルキにかわったかなぁ。

 ひょっとして、この世で使われている味の素の中華味も、実は地獄から輸出されたマルメルキだったりして。
 

 本は大切にしましょう。
 ブックカバーをつけるとかして。




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 羊毛でブックカバーを作っています。

 そのうちどこかで手に取っていただけたらいいなぁ。

 






 
by hituji-gusa | 2012-10-04 12:41 | 読書の時間