羊草−ひつじぐさ−

カテゴリ:日々の余白( 18 )

君の名は。

 
 夕空が、まるで新海誠さんのアニメの背景画のようだった。



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 絵のような、というのは逆なんだろうけど。

 アニメ一作品につき、一万枚の風景写真を参考に撮ると聞いた。
 目に見える世界の色や光、そして揺らぎまでもそこには表現されているように感じられる。

 今月末には新作のアニメが公開される予定。

 現実にはまだ出会ったことのない高校生の男女が、夢の中で互いに入れ替わりながら相手を知り、そして様々な気づきの果てに互いを探し始める、というストーリー。









 互いに入れ替わって互いを知る、というストレートな体験が実際にあるかどうかはわからないけど、これからは意識で先に出会うという体験をする人も出てくるんだと感じている。
 物語ることができることは、過去か未来か、どこかにきっと存在できる事実だと思うから。


 それぞれの魂は、それぞれの固有の波動を持っている。
 意識で先に出会うことができるのは、まさに自分と全く同じ波動を持つ相手なのではないかと。
 そういう相手に出会ったら、この世での体験はもう終わりなんだと思う。

 たくさんの生まれ変わりを繰り返し、たくさんの他人の中に自分を映しながら、少しずつ本当の自分の姿に気付いてその真実の自分自身を愛することができたら、もうそこは天国なんだろう。
 そんな最後の体験の中には、自分と真映しの魂を持ったもう一人の自分という異性との出会いがある。

 自分の本来の姿を突き詰めるのは、この世のあらゆる観念と概念を超えていく作業だから苦しいことも多いだろうけれど、誰もが皆、本来は自分と出会いたがっていて、誰よりも自分自身というものを愛したがっているんだと思っている。
 自分の本来の魂の波動を愛し抜けたとき、やっと本来の自分を生きることができる。
 そこには何の摩擦も、何の苦しみも必要なくなる。


 愛の本当の醍醐味は、他人を愛することよりも、自分自身を愛すること。
 それができるようになったとき、異性の姿をまとった自分自身が、奇跡のように目の前に現れる。
 そんな相手を愛さずにいられるわけがない。

 その人が目の前に現れたとき、でも実はずっと前から、自分の記憶を超えた遥かずっと以前から、その魂を自分は知っていたことを思い出すだろう。
 すでにいつの頃からか、意識はその魂と出会っていたことも思い出すのではないかな。

 そういうことが、スピリチュアルな絵空事ではなくなる時代になってきたんだと感じています。


 なぜ、この世には男と女がいるのか。
 なぜ、わざわざ魂を二つに分けて、この世を体験しているのか。

 もう一人の自分と再び出会ったときに、全てが理解できるのかもしれない。




 



 

 
 
 
by hituji-gusa | 2016-08-21 19:40 | 日々の余白

優しい人


 優しい人が好きだ。

 言葉や行動にそれが表れていても、その人自体を優しいと感じないこともある。
 だから、説明はむずかしい。


 うんと優しい人が好きだ。

 どういう表れをしていても、うんと優しい人はそれと分かる。

 別に、その人のそばに行かなくても、そのうんと優しい人を見て、感じているだけで十分。


 人間をやっているということは、本質と表現が否応なく一致しないときもあることを、受け入れることでもある。

 うんと優しい人が、優しく見えないときでも、その人の優しさは灯いたまま消えることはない。
 うんと優しい人が、ふさぎこんでいるときにも、その灯りはかわらず周りを照らしている。

 遠くからその灯を見ているだけで、私はほっとしていられる。
 




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by hituji-gusa | 2016-07-24 12:23 | 日々の余白

かみさま


 まどみちおさんの詩に「おんがく」という詩があります。

 そのなかに登場する「かみさま」が、私にとっては、昨日の「空間」そのもののように感じられるのです。


 神様は人間のような名前とドラマを持っているけど、かみさまは、たまさか人間に名前を付けられていても、ドラマを持っていない。
 私のなかではそういう区別があります。

 神様には好き嫌いがあったり、夫婦げんかがあったり、いいことをすればご褒美をくれたりする。
 力を使って、誰かの願いをかなえてくれたりすることもある。
 でも、かみさまには好き嫌いはないし、誰かとけんかもしないし、ご褒美をくれることもありません。
 願いもかなえてはくれないけど、いつだってありのまま、思う通りにいさせてくれる。
 
 こうして書いてみると、私はかみさまの方が、ちょとだけ好きみたいです。


 ひょっとすると、大昔に、私は神様とけんかをしたことがあるのかもしれない。
 神様の気に入らないことをして、叱られたことがあるのかもしれない。

 私は叱られるのが嫌いです。
 悪いと思ったら、自分から謝る。
 いうことを聞かされるのが嫌いなんです。


 かみさまは私を自由にしてくれるから、好きなのかもしれない。
 
 でも、自由ということは、なりたいことも、欲しいものも、自分で決めて動かなければならない。
 決めたことの責任も取らなければならない。
 
 かみさまはいつもそれを黙って見ていて、判断することはありません。
 なりたいことを「無理じゃない?」と言ったり、欲しいものを「それよりもこれの方が」と言ったりしない。
 結果が惨敗でも、「それ見たことか」とは言いません。

 ああ、こう書いていたら、私は昔、神様から「そら見たことか」と言われたことがあるのかなぁ、なんて思った。


 かみさまには会うことはできません。
 なぜなら空間だから。そこにあるすべてだから。

 神様とは会えたり、お話できたりするかもしれない。
 でもそうなら、友だちのように気楽に付き合いたいものです。









 
 かみさまだったら
 みえるのかしら

 みみを ふさいで
 おんがくを ながめていたい

 目もつぶって 花のかおりへのように
 おんがくに かお よせていたい

 口にふくんで まっていたい
 シャーベットのように広がってくるのを

 そして ほほずりしていたい
 そのむねに だかれて



                     まどみちお 「おんがく」

 

 
 

 
by hituji-gusa | 2016-07-03 00:30 | 日々の余白

空間


 そこは空間なんです。

 小さな祠もあって、神社なのですが、そこには神様はおられなくて、「かみさま」という音を持った空間がある。
 私が言葉にするとすれば、そんな感じです。



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 その空間は、誰が行っても、そこで何をしても、ただ受け入れてくれるのです。

 でも、その場所はちょっと不思議な場所で、そこにやってくる人の真の望みを、現実に映し出すための流れを加速してくれるんです。
 それは少し怖いことでもあります。

 その人の真の望みだから、頭で考えていることと違っているときもあるし、真の望みに気づいていても、それをかなえるために要らないものは、握っていたくても手放さないといけなくなることもある。
 そういうとき、思いがけずドキドキするような出来事が起こってしまうことがあるかもしれない。

 だから、そこへ行くのは、ちょっとだけ勇気のいることなのかもしれません。
 でも、本当の自分を生きるのは、とてもうれしいことだから、自分を整えたいとき、不必要なものをあぶり出してほしいときに、無性に行きたくなる場所です。


 そこは田舎で、しかも山の奥なので、あまり人に会うことはありません。
 でも、たまたま誰かに会ったとき、必ず交わされる会話があるんです。

 「この場所を、どこでお知りになりましたか?」

 そんな感じで、初めて出会う人と、なんだか妙に打ち解けた話になってしまうこともあるんです。
 でも、きっと、初めて出会う人ではないのかもしれない。
 いつか、遠い過去のどこかの点で、ご一緒したことがあったかもしれない。
 そんなふうに感じられたりするんです。




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 ここに来るとき、お願いごとはしません。

 たいてい、しばらくそこにいて、すうっと胸が軽くなるような風と空気を感じて過ごします。
 きっと、ここに来る誰もがそうなんじゃないかな。

 ここは、そんな空間です。





  


 

 

 


 
by hituji-gusa | 2016-07-02 01:15 | 日々の余白

どちらが好きか


 去年あたりから、またプロレスを観に行くようになった。

 そんなことを話すと、「どういうきっかけで」とか、「どういうところがいいのか」と、割と突っ込まれてしまうのが不思議、というかちょっと面白い。
 これが相撲とか、演劇やコンサートなら、別にそんなこと聞かれないんだろうな、と思って。

 語りだすと、「祖母が好きだった」、から長い歴史が始まるので語らないけど、私の中には物心ついたころから血のように当たり前に自分の中を流れている「プロレスのなにか」があるみたいで、今の時期はそれが沸騰中、というところなのかもしれない。

 とても好きな選手が一人いて、好きな団体もある。
 でも、そこに見ているのは、物心ついてからずっと私が遠くに近くに感じていた「プロレスのなにか」なんだと思う。
 選手にしても、観客にしても、「プロレスを愛している人」を見ているのが好きなのかもしれない。
 そこに、私が感じていた「プロレスのなにか」があるような気がしている。

 
 とはいえ、子供の頃に、ドリフの全員集合とプロレス中継がかぶっていたときの家族間の熾烈なチャンネル争いでは、もちろんドリフ側。
 どちらが好きかと聞かれたら、やっぱりドリフが好きでした。


 サカナクションの「新宝島」のPVの元ネタが、ドリフ大爆笑のオープニングだったのでハマりました。

 ちなみに、全員集合と大爆笑と、どちらが好きかと聞かれたら、全員集合の方が好き。
 中でも、夏恒例のオバケコントと、探検隊コントが好きでした。











 


 「新宝島」のPVで、バックの踊り子さんが小競り合いしてたりする。
 踊り子さんが手にしているポンポンが、メンバーの邪魔をしているシーンがあるけど、これも元ネタから来ているのかと思って観てみたけどわからなかった。

 でも、貼り付けたドリフ大爆笑のオープニング映像のラストで、志村けんが踊り子さんをどついているシーンがあって、そのあたりかなぁ、とも。


 

 

 





 

 
by hituji-gusa | 2016-06-30 15:58 | 日々の余白

知っている場所



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 姶良市から望む鹿児島湾。

 どういうわけか、このところしょっちゅう思い出します。
 海の風景、いろいろ、たくさん観てきたけれど、この風景はなんとも忘れがたいのでした。

 車で海沿いを流しながら、どうしてもあの場所から撮りたい!と思った瞬間があって、わざわざ引き返したその場所が、あとで調べたら姶良市の端でした。
 そのあと、鹿児島市内に向けて、鹿児島湾を眺めて走ったけれど、その景色はそこだけのものでした。
 そして、その景色のことだけ、折に触れては思い出されます。

 子供のころに観ていた海の様子に似ているような気もするけど、やはり違う。 
 でも、それはなぜか、すでに知っていたような海の風景なのでした。

 懐かしい海、というと、感傷的なイメージがありますが、この風景にはそれを感じません。
 楽しくなってくる、というのとも違う、とてもニュートラルな感覚です。

 知っている場所に戻るのは、とても穏やかで安らげる感覚です。
 この海の景色にはそれがあります。



 
 

 

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by hituji-gusa | 2015-05-29 09:55 | 日々の余白



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 野菜を買うついでに花を買う。

 遠くの農協に野菜を買いに行く。
 新鮮で安い野菜。
 そしてついでに、安い花を買う。

 いや、違うな。
 花を安く買う、だ。

 このカラーと、なにやらマメ科の美しい藤色の花が合わせて190円だった。
 カラーと藤色の花。とりあわせも美しくて。
 ちなみに芍薬も三本で190円。


 カラーはとても好きな花だ。

 すっと伸びたシンプルなライン、シンプルな色合い。
 静かな雰囲気があるが、これは心の底に熱を蓄えている人が選ぶ花のような気がする。


 最近、田島貴男のカフェライブに行ってきた。

 カフェという小さな空間で、まじかに聴く田島貴男の声。
 いつ聴いても熱のある声。
 自分の中に在る熱が、呼びさまされるような熱。

 自分という熱のままに生きているような人に惹かれる。
 自分という熱のままにしか生きられない人、というか。








    何もかもが 変わってしまったあの時から
    僕の宇宙の法則が崩れたのさ

    勇気出して飛び込んでゆけよ
    今は地上の運命に触れるときさ



 












 
 
by hituji-gusa | 2015-05-15 18:42 | 日々の余白

シャボン玉




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 花見に行って、シャボン玉を撮った。
 
 ふわりふわりとさまようのを追って、パシャリ。
 そのあとあっけなく、それははじけて消えた。


 写真はおもしろい。

 私の場合は技術など全くなく、ただ絞りを開放して、フラッシュをたかないで撮るだけ。
 風景も静物もみんな一緒だ。
 でも、そんななかで、自分が何を見ているのか、何にフォーカスしているのかを感じるのが面白い。

 シャボン玉を見ているから、それが写って、背景はぼやける。
 背景の木々にフォーカスしたら、シャボン玉はまったく写らないだろう。

 シャボン玉を追っているとき、対象を感じて、それに気持ちと動きを合わせる。
 いつ消えるか分からないし、動くからピントを合わせるのも大変だし、いろんなことを感じながら、でもシャボン玉がはかなくて美しいと感じて、それを一瞬の中に収めたいと思う。
 でも、そんないろいろな感覚は、一瞬という流れの中に、シャボン玉と一緒に消えていくのだ。


 そんなことを綴りながら感じたことがある。

 シャボン玉はどこから生まれ、どこに消えたのか。

 背景の木々はずっとそこにある。
 ゆっくりした時間の中で、少しずつ姿を変えながら、でもまたそこに行ったときには、木々はそこに在るだろう。

 ではシャボン玉は?
 消えてなくなったのではなく、それはやっぱりそこにあるような気がする。
 もうそこにはないかもしれないけれど、どこかにそれは在る。
 精妙な粒子となって、別の場所で、別の姿をあらわしているかもしれない。

 あるいは、同じ場所で、肉眼には見えないほど精妙な姿で、くるくると風に乗っている何かとして在るかもしれない。
 そして、それを私が強く意識した時に、それはシャボン玉としてまた同じように姿をあらわしてくれるかもしれない。
 そういうことも起こり得るんじゃないかな。


 妄想は果てしない。
 でも、楽しい。
 








 
by hituji-gusa | 2015-04-11 12:13 | 日々の余白

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 唐津。
 波戸岬からの玄界灘。




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 鹿児島の前に、波戸岬で一泊。
 そこから南に向けて一直線の旅だった。

 初めは、とにかくイカが食べたいと思っただけだった。
 波戸岬の国民宿舎に予約を入れて、あとはノープラン。
 
 出発の前の日の早朝まで熱が結構あって、これはイカも無理かと思ったところ、前日の朝7時を境に急に身体がしゃんとして、すべてが復活した。
 すると鹿児島が急に思われて思われて、じゃらんで指宿ぽちっとな。
 思い立ったら行かねばならぬ。




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 透明なイカ。
 また食べたい、イカ。


 でも、結果的にイカより鹿児島の印象が強い旅になってしまった。

 帰りは鹿児島からの走行距離750㎞。
 サービスエリアに寄りまくり、山口の宇部でいったん高速を降りて、イタリアンのお店にも行った。
 阿知須のペイザンというイタリアンレストランは、子供のころに叔母に連れて行ってもらった懐かしいお店で、とにかくとにかくおいしい。

 阿知須も不思議な印象の町だ。
 とりたてて何もなさそうな、地味な町なんだけど。
 縁がある、という感じ。
 それがどういうことなのかは分からないけど。
 そういう意味では、唐津もそうなんだけど。

 鹿児島も、まあ、そういうことなんだろうな。




 

 



 

by hituji-gusa | 2015-04-10 12:12 | 日々の余白

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 鹿児島の長崎鼻。

 指宿から南下したところにある、開聞岳を眺める岬。
 竜宮神社という名前の神社があった。
 ここにも竜宮伝説があるらしい。


 とにかく南の端っこに行ってみたくて、温泉と晩御飯をお預けにしてここまでたどり着いた。
 旅の間、ずっと天気が悪かったのが、ここに着いたら遠く海の上に明るい陽射し。
 こういうときは、その場所に歓迎されていると思ってしまう。

 今回の旅では、海ばかり撮っていた。
 だって、海が誘うから。

 太陽が誘うとき、太陽を撮る。
 花が誘うとき、花を撮る。
 海が誘えば、海を。

 声をかけられるような感じがする。
 でも、そういうときに撮ると、光の美しい澄んだ写真が撮れる気がする。






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 いつも遠くまで私を連れて行ってくれるのが、スバルの軽自動車「ステラ」。
 ステラは「星」。
 だから我が家ではこの車のことを「お星」と呼んでいる。

 子供のころから、スバルのロゴが大好きで。
 以前乗っていた、レガシィのツーリングワゴンは例のドロドロ音が本当に魅力的だった。走りは当然として。
 この先、宝くじでも当たったら、BRZの6速マニュアルを買って日本中を走り回りたい。
 ステラの正体はダイハツムーブだし、BRZはトヨタでは86のことだけど、スバル発ならそれでよい。


 今回も、長距離をごくろうさま、お星。
 どころで、ふと思い出して調べてみたところ、丹後国風土記にある竜宮伝説では、浦島太郎がたどり着いた竜宮城で出迎えた七人の童はみずからのことを「すばるぼし(昴星)」と名乗ったらしい。
 スバルのロゴにみる星の数は六つ。
 昴のことを「六連星(むつらぼし)」とよぶ地方もあるらしい。
 一つはどこに消えたんだろう。





 






by hituji-gusa | 2015-04-09 13:10 | 日々の余白