羊草ーひつじぐさー

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名は知らねども


 この実が毎年気になる。

 色がきれいだから。



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 赤、青、黄。

 三つの色を混ぜると生まれる、色のグラデーション。
 


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 同じように、羊の上にも落としてみました。

 あわあわとした色あいですが。



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 このところ少々、肩がこっています。
 こういうときにはアンメルツ、アンメルツ。 (今でもあるのだろうか。昔はヨコヨコとかあったけど。)
 















 
by hituji-gusa | 2013-10-29 21:34 | 羊のこと

羊の本


 これは羊の本。


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 ぶ厚い本。

 世界のあらゆる羊が、写真と文章で解説してある本。

 羊はその愛らしい姿と、羊毛、それも洗う前と洗った後のもの、紡いだ糸、それで編んだモチーフが写真に収められている。
 羊好きにはたまらない本。

 
 飼い犬が犬くさくても、そのにおいすらかわいいと思えるように。
 洗う前の羊も羊くさいが、くせになる。

 それだけでなく、羊には不思議な魅力がある。
 魔力というか。

 奥が深くて、その奥がさらに広がっているというか。




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 先日の淡いえんじ色の格子の布とは、違う種類の羊を使っています。
 見た目では分からないけれど、手触りはまた違う。

 糸にして布になる。
 これが、最初出会ったときは、毛刈りしただけの、けものくさい羊の毛だったなんて。

 洗ったら白くなって、紡いだら糸になって、織ったら布になる。
 不思議。
 すごい。
 





 













 
by hituji-gusa | 2013-10-19 22:36 | 羊のこと

「ぷ」、とか、「ぶ」、とか。


 散歩の途中、「ぷ」、とか、「ぶ」、とか、かすかな音がすることがある。

 本人は気がつかない。
 すました顔で歩いている。


 以前、家でくつろいでいるときに、「ぶ」、と音がしたことがあった。
 おどろいて、他人事のように自分のしっぽのあたりを確認していた。

 「ぷ」、とか、「ぶ」、とか、なんのことか分からんのだな。
 自分でしておいて。

 人間なら、けっこうな騒動だ。






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 「ん?」





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 「まあ、いいか」






 
by hituji-gusa | 2013-10-13 22:52 | 本日のタロさん

時の旅人


 布を織る。



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 織っているとき、音楽もラジオも聴かない。

 五感を「なんとなく」な感じにして、入ってくる音、匂い、風が触れる感覚、そういったものをただ流れに任せている。
 考えるということをしないで、でもふと湧いてくる思考も、「そうなんだ、」とうけとめては、他人のもののように流していく。

 この世界は私のものだ、と決めて。


 そうしていると、沈黙という幕間から、ふとインスピレーションがやってくることがある。
 今日感じたことはなかなかおもしろかった。

 私たちは「時の旅人」だ。

 時、というのは、直線で表される感覚ではなく、「今」というこの瞬間。
 私というものはこの全き「今」にしか存在できない。
 無限に点在する「今」から「今」へ、無限に移動しながら変化している。

 「今」のなかには、「今」を基準にしてあったことになっている「過去」という幻想がある。
 だから、直線的な時間の観念を持っている間は、その「過去」を感じることもできるだろう。
 でも、「今」を絶えず移動している私が思う「過去」は当然毎瞬違っているかもしれない。
 さっきいた「今」では、存在したはずの誰かが、次の瞬間の「今」には存在しないかもしれない。
 でも、それは比べたり確認したりすることはできない。
 だって、自分がもう、さっきの「今」を認識することはもうできないから。
 「ここにある今」を「私の今」だとしか認識できないから。

 そうだとすると、考えるということには意味がない。
 他人、も存在しないに等しい。だから気にする意味がない。
 考えたり、気にしたりしているうちは、まるで人生が運任せのように、ただやってくる、コントロールできないもののように感じるだろう。
 でも、そう感じているのも、思考、エゴ(自我)なのかもしれない。

 大いなるものが自らの意志で無限の「今」を旅しているのが、本来の私たちの姿なのかも。
 そこには自由意思があり、「今」という時を渡り歩いて「経験」という旅をする。
 大いなるものの自由意志と一致したとき、初めて操縦席についた感覚になるだろう。
 本当はずっと操縦席に座っているのに、目隠しをしたままスリルを味わっているのが自我の姿なのかもしれないな。

 そんなことが、ふっと風のように心の中を抜けていった。
 






 







 
 
 
by hituji-gusa | 2013-10-07 15:01 | 羊のこと

秋の密書


 密書の一例。


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 柿が数個ある。
 この中の一つの柿の中に密書がしこまれている。
 下記の蔕(ヘタ)を取ると密書がある。
 蔕の裏に暗号で書くこともある。
 しかし、形のある暗号はヘタをすると発覚する恐れがある。

 戸隠流忍術34代目承継者、初見良昭先生著「忍法大全」より。


 ヘタの裏の暗号はヘタをすると発覚する恐れがある。
 シャレではすまないので、私は栗を使った密書を提案する。
 



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 イガの中の栗の底に暗号が仕込まれている。
 イガにさわると痛いので、まさかそんなところまでつぶさにチェックを入れる敵もあるまい。
 しかし、ぱっくり開いたイガの中から栗が飛び出しやすいので、運搬には十分に注意せねばなるまい。
 伊賀流忍者はイガだけに、栗を用いていたという。 ウソです。



 密書でないことを確認した後、栗はゆでて食べました。

 柿はこれからですね。
 ヘタの内側になにも仕込まれていないか、念のために確認しましょう。
 
by hituji-gusa | 2013-10-05 20:38 | 日々のあれこれ