羊草ーひつじぐさー

<   2015年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

物語のない世界で




b0110646_22481838.jpg



 猪熊弦一郎現代美術館でひらかれている、鈴木理策写真展「意識の流れ」を観てきた。

 タイトルの「意識の流れ」は、

 見るという行為に身をゆだねると、取り留めのない記憶や、さまざまな意識が浮かんできて、やがてひとつのうねりの様な感情をもたらすことがある。

 という、鈴木理策の経験に基づいてつけられたものだそうだ。


 人は写されたイメージに意味を見出そうとする。
 だが意味が生まれる以前の状態で見ることを示したい。


 
 たとえば風景を眺めるにしても、遠くの木々を見たり、目の前の花を観たりしながら、そのすべてを感じているだろう。
 それがレンズを通せば、シャッターを切るときにフォーカスしていたものだけが写真には落ちている。
 その瞬間だけいくらながめても、それまでに移ろった視線の流れ、意識の流れを読むことはできない。

 そういうことなんだろうか、と。


 たとえば誰かのことを深く知りたいと思うとき、その人が見てきた景色を、自分も見てみたい、と思う。
 その人の経歴よりも、どんな色を見て、どんな風に触れ、どんな温度を感じてきたかを知りたいと思う。

 私が感じたいのは、その人が今抱えている「物語」よりも、もっとシンプルにその人の底に存在する感性なのかもしれない。
 色や匂いのようなものだ。

 純粋に、今までに移ろった視線の流れ、意識の流れ、そういうものから生まれた感性。

 物語という仮のものではなく、その人本来の肌合いのようなものだ。
 





b0110646_22482520.jpg




 物語に取り込まれているとき、いろんな役を演じることを私たちは求められている。
 その役割を演じているうちに、自分の底に流れる感性を殺すか忘れてしまうことがある。

 私としては、もう物語にも飽きた。
 役としての誰かに出会うことにも飽きてしまって、この世が少しおもしろくない。

 自分を自分らしく見せているすべての物語を捨てて、感性という意識の流れを共有してくれる誰かと出会いたい。
 そういう場所で、人と出会いたい。


 と、そんなことを私は考えていたんだろうか、と館を後にしてから考えた。

 ひょっとすると、物心ついてからずっと。
 いやおうなく、物語に取り込まれてしまう悲しみについても。

 そういう場所で出会っても、ゆくゆく物語に戻っていく人たちのこととか。


 そういうことに思いをめぐらす自分は、やはり変わっているのだろうか、とか。



 ここひと月くらい、心をめぐる問いの答えが、今朝の夢にふと現れたような気がして、そうしたところ、鈴木理策の写真展のことを思い出した。
 
 せっかく四国に行くなら、あれもこれも、と思いかけたが、そうしたら肝心なことが薄まってしまいそうでやめた。
 大好きないのくまさんの美術館に行ったのにもかかわらず、あえていのくまさんの常設も素通りした。


 ただ、純粋に感じてみたかった。





b0110646_23214883.jpg




 図録は高かったけど、買うことに決めていた。

 表紙は三種類の中から選べるが、やはり桜にした。


 鈴木理策の撮る桜の色が好きだ。



 











 
by hituji-gusa | 2015-04-24 00:03 | いろやかたち




b0110646_2145058.jpg



 あっという間に桜も済んでしまったのですが、





b0110646_21462333.jpg



 今年の桜の記憶だけ残しておこうと思いましたので。





b0110646_215145.jpg



 網戸越しに春の匂いを楽しむ、タロの後ろ姿。

 おまけです。

 




 






by hituji-gusa | 2015-04-13 22:00 | いろやかたち

シャボン玉




b0110646_1525481.jpg



 花見に行って、シャボン玉を撮った。
 
 ふわりふわりとさまようのを追って、パシャリ。
 そのあとあっけなく、それははじけて消えた。


 写真はおもしろい。

 私の場合は技術など全くなく、ただ絞りを開放して、フラッシュをたかないで撮るだけ。
 風景も静物もみんな一緒だ。
 でも、そんななかで、自分が何を見ているのか、何にフォーカスしているのかを感じるのが面白い。

 シャボン玉を見ているから、それが写って、背景はぼやける。
 背景の木々にフォーカスしたら、シャボン玉はまったく写らないだろう。

 シャボン玉を追っているとき、対象を感じて、それに気持ちと動きを合わせる。
 いつ消えるか分からないし、動くからピントを合わせるのも大変だし、いろんなことを感じながら、でもシャボン玉がはかなくて美しいと感じて、それを一瞬の中に収めたいと思う。
 でも、そんないろいろな感覚は、一瞬という流れの中に、シャボン玉と一緒に消えていくのだ。


 そんなことを綴りながら感じたことがある。

 シャボン玉はどこから生まれ、どこに消えたのか。

 背景の木々はずっとそこにある。
 ゆっくりした時間の中で、少しずつ姿を変えながら、でもまたそこに行ったときには、木々はそこに在るだろう。

 ではシャボン玉は?
 消えてなくなったのではなく、それはやっぱりそこにあるような気がする。
 もうそこにはないかもしれないけれど、どこかにそれは在る。
 精妙な粒子となって、別の場所で、別の姿をあらわしているかもしれない。

 あるいは、同じ場所で、肉眼には見えないほど精妙な姿で、くるくると風に乗っている何かとして在るかもしれない。
 そして、それを私が強く意識した時に、それはシャボン玉としてまた同じように姿をあらわしてくれるかもしれない。
 そういうことも起こり得るんじゃないかな。


 妄想は果てしない。
 でも、楽しい。
 








 
by hituji-gusa | 2015-04-11 12:13 | 日々の余白

kagoshima 0




b0110646_1428108.jpg



 唐津。
 波戸岬からの玄界灘。




b0110646_14281865.jpg



 鹿児島の前に、波戸岬で一泊。
 そこから南に向けて一直線の旅だった。

 初めは、とにかくイカが食べたいと思っただけだった。
 波戸岬の国民宿舎に予約を入れて、あとはノープラン。
 
 出発の前の日の早朝まで熱が結構あって、これはイカも無理かと思ったところ、前日の朝7時を境に急に身体がしゃんとして、すべてが復活した。
 すると鹿児島が急に思われて思われて、じゃらんで指宿ぽちっとな。
 思い立ったら行かねばならぬ。




b0110646_14284054.jpg



 透明なイカ。
 また食べたい、イカ。


 でも、結果的にイカより鹿児島の印象が強い旅になってしまった。

 帰りは鹿児島からの走行距離750㎞。
 サービスエリアに寄りまくり、山口の宇部でいったん高速を降りて、イタリアンのお店にも行った。
 阿知須のペイザンというイタリアンレストランは、子供のころに叔母に連れて行ってもらった懐かしいお店で、とにかくとにかくおいしい。

 阿知須も不思議な印象の町だ。
 とりたてて何もなさそうな、地味な町なんだけど。
 縁がある、という感じ。
 それがどういうことなのかは分からないけど。
 そういう意味では、唐津もそうなんだけど。

 鹿児島も、まあ、そういうことなんだろうな。




 

 



 

by hituji-gusa | 2015-04-10 12:12 | 日々の余白

kagoshima 3




b0110646_2310574.jpg



 鹿児島の長崎鼻。

 指宿から南下したところにある、開聞岳を眺める岬。
 竜宮神社という名前の神社があった。
 ここにも竜宮伝説があるらしい。


 とにかく南の端っこに行ってみたくて、温泉と晩御飯をお預けにしてここまでたどり着いた。
 旅の間、ずっと天気が悪かったのが、ここに着いたら遠く海の上に明るい陽射し。
 こういうときは、その場所に歓迎されていると思ってしまう。

 今回の旅では、海ばかり撮っていた。
 だって、海が誘うから。

 太陽が誘うとき、太陽を撮る。
 花が誘うとき、花を撮る。
 海が誘えば、海を。

 声をかけられるような感じがする。
 でも、そういうときに撮ると、光の美しい澄んだ写真が撮れる気がする。






b0110646_2311229.jpg



 いつも遠くまで私を連れて行ってくれるのが、スバルの軽自動車「ステラ」。
 ステラは「星」。
 だから我が家ではこの車のことを「お星」と呼んでいる。

 子供のころから、スバルのロゴが大好きで。
 以前乗っていた、レガシィのツーリングワゴンは例のドロドロ音が本当に魅力的だった。走りは当然として。
 この先、宝くじでも当たったら、BRZの6速マニュアルを買って日本中を走り回りたい。
 ステラの正体はダイハツムーブだし、BRZはトヨタでは86のことだけど、スバル発ならそれでよい。


 今回も、長距離をごくろうさま、お星。
 どころで、ふと思い出して調べてみたところ、丹後国風土記にある竜宮伝説では、浦島太郎がたどり着いた竜宮城で出迎えた七人の童はみずからのことを「すばるぼし(昴星)」と名乗ったらしい。
 スバルのロゴにみる星の数は六つ。
 昴のことを「六連星(むつらぼし)」とよぶ地方もあるらしい。
 一つはどこに消えたんだろう。





 






by hituji-gusa | 2015-04-09 13:10 | 日々の余白

kagoshima 2




b0110646_1453232.jpg



 指宿から眺めた鹿児島湾。

 曇り空の隙間から強く差し込んだ日が海に落ちたとき、海の色が一層濃くなった気がした。


 海辺の温泉は、塩味。

 帰りの道の駅で、芋や大根など根のものと、りっぱなそら豆、タラの芽、みかんなどを買って帰る。
 そら豆は特産品だそうだ。
 帰ってから、れんこん、タラの芽といっしょにてんぷらにして食べたらとてもおいしかった。


 土地を歩き、根のものを食べると、その場所の情報がダウンロードされるような気がする。
 そのあと、必要な時にそれは解凍されて、おもわぬところで自分の中にあった情報とつながる。
 そして何かが腑に落ちる。

 私の場合、そのために旅があるような気がして。






b0110646_14531385.jpg




 





by hituji-gusa | 2015-04-08 15:14 | 日々の余白

kagoshima




b0110646_20471336.jpg



 凪の海。

 おもちゃをばらまいたような景色が美しかった。




b0110646_2048232.jpg



 小さな船が目の前ですれ違う。

 水面に偶然生まれた波紋を眺めているのも飽きなかった。



 対岸には桜島。
 でも、天気のせいで煙って、火山の力強さはまったく感じられない。

 静かで、精妙な景色。
 ずっとそこにいたいと思えるような。


 車で鹿児島に行ってきた。

 観光らしい観光はちっともしないで、ただ行って帰るだけの旅。
 私の旅はそういうのが多い。
 
 風景を流し、温泉に浸かり、土地のものを食べて。
 場所の記憶に耳を澄ますような旅。

 鹿児島の気配は、なんだかひどく懐かしかった。










 





 
by hituji-gusa | 2015-04-06 21:19 | 日々の余白